Neighbors

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2023/03/05

福岡・北九州市

毎日のすぐ側には。

いつも通る道沿いにある1軒の古い建物はかつて街の産婦人科だった。八児(やちご)美也子さんは北九州市戸畑区で会社員として働いていたとき、通勤で毎日通っていた。あれから4年後、お店の物件を探していた八児さんはこの建物と再会した。建物の中に入ってみるとカウンターを置く場所が浮かび、そこから自分がお店を見渡す姿までイメージできた。その日のうちにオーナーに「物件を借りたい」と伝えた。

この建物は小さなお店が集まる商業施設<cobaco tobata>として2017年にオープンした。八児さんは1階に<マルハチ珈琲焙煎舎>を開いた。cobaco tobataの扉を開けると、ずっとこの場所の時を刻んできたであろう大きな振子時計やタイル敷きの床から、ここがかつて病院だった趣きが感じられる。玄関を抜けると、部屋の入り口が小さなランプで灯されているのが見える。そこにマルハチ珈琲焙煎舎がある。「普段の生活のなかで、何気なく立ち寄れるような、日常の側にあるお店でいたいと思っています」。

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〈cobaco tobata〉のエントランスには、入居する花屋の生花で彩られている。

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無農薬栽培の人参を使ったキャロットケーキ。親交のある農家さんから仕入れる人参が旬の季節の定番メニューだという。

八児さんがコーヒーの面白さやカフェを訪れる楽しさに気付いたのは、地元を離れ会社員となり、北九州市で一人暮らしを始めてからだった。一人でさまざまな店を訪れるなかで出会った友人の店で、初めて飲んだスペシャルティコーヒーは、甘みや豊かな香りがして、これまで味わったことのないコーヒーの世界に心が動いた。その後、仕事の関係で東京へ転勤になったが、社内体制の刷新により当初思い描いていた仕事をすることができず、このまま会社員を続けるべきか悩む時間を過ごした。そんなときに向かう先はカフェだった。店主のこだわりが感じられるコーヒーの味とカフェの空間が作り出す世界観に強く惹かれていった。

あるとき八児さんは、「自由大学」という学びの場で、カフェに関する講義と出会った。そこでは、カフェの起源からコーヒーと文化のつながり、カフェを営む人たちの考え方まで学んだ。カフェを営む講師や同じ受講生とのつながりから、講師が運営するコーヒーイベントの参加やボランティアスタッフとして実際の業務を手伝うことも増え、コーヒーを通して生まれる会話や空間の温かみに魅了された。その後、焙煎機を所有する人と知り合って初めて焙煎を経験したことで、豆からコーヒーを作る楽しさと喜びがこみ上げた。それまではコーヒーを生業にするか悩んでいたが、「自分で焙煎したコーヒーを振る舞う場所を作っていきたい」と決意を固めた。

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常時5種類のコーヒー豆を用意している。1回の入荷分が無くなると次のコーヒー豆へと移り変わる。

「お客様の毎日に寄り添い、日々の一瞬に幸せが広がるように」という想いを込めてマルハチ珈琲焙煎舎と名付けた。ロゴマークのデザインを依頼しとき、デザイナーから提案された「八」の字は漢字をイメージしていなかったが、富士山をイメージした末広がりの形がお店の想いと重なった。開店してみると近隣の大学生やさまざまな国籍の人、それに近所のご高齢の人まで幅広いお客さんが来店した。「コーヒーは年齢や国籍の垣根を取り払って楽しむことができるから、そこにおもしろみを感じるし飽きることがないんです」。

2月の初旬、八児さんはアフリカ・エチオピアを訪れ、複数の農園と輸出業者を周る旅を間近に控えていた。「店を営んでいるだけでは見ることができない現場の景色からたくさん吸収しようと考えています。それによって、帰国後は焙煎の向き合い方やお客様との会話もこの旅の経験によって変わってくると思います。その私の姿やお店のあり方を見ていただいて、私がかつて自由大学で刺激を受けたように『やりたいことで生きていっていいんだ』という人が増えたらいいなという想いがあります」。

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店内の奥には焙煎機が佇む。

shop info

マルハチ珈琲焙煎舎

Instagram:@maruhachicoffeeroaster

photo&Text_Mitsuru Watanabe