Neighbors
2024/01/11
広島・尾道市
物語の進む方向へ。
瀬戸内の凪いだ海の景色が望める山の上に立つチョコレート工場、USHIO CHOCOLATLは向島でチョコレート作りを始めてから今年で10年目を迎えた。カカオ豆の仕入れからチョコレート製造までを全て自分たちで行う、いわゆるBean to Barというスタイルで、カカオ豆と砂糖のみで作られるチョコレートだ。
当時働いていたカフェの上司で、珈琲が好きだった中村さんに「何か自分でお店をやってみたら面白いと思う」と独立を進めてくれた人がいて、いつか自分のお店を持つことを考えていた。「カフェや珈琲屋もかっこいいところがあるし、今から自分がやってみてその世界で台頭できるとは思えなくて。どうせお店をやるというリスクを取るのであれば自分らしくできることをやりたくて」。
チョコレートのジャケットは尾道のアーティストによりデザインされたもの。
向島の高台に位置するUSHIO CHOCOLATL。自転車で登って来られるお客様も多い。
中村真也さんとチョコレートとの出会いは、雑誌で見つけたマストブラザーズチョコレートというニューヨークのブルックリンにあるチョコレートメーカーの記事だった。 「すごくかっこいいと思ったんです。食べたことがなかったので味はわからないけれど、それまで自分が持っていたチョコレートのイメージが払拭されて、当時は動物性のものを食べていなかったこともあって、カカオ豆と砂糖だけでできているというのを見て興味が湧きました。食べてみたいと思っていたらたまたま地元の久留米というところで入手できて、食べてみるとあまりのおいしさに衝撃を受けて、最初は単純にこのチョコレートをたくさん食べられたらいいなと思ってお店やネットで探したけれど、それ以降手に入りませんでした。当時はクラフトチョコレート自体、日本では全く見かけなくて取り扱っている店舗もなくて。それだったら自分で作ろうと思って、色々調べたけれどカカオ豆の流通もその時はなくて、買い付けから始めないといけない状況でかなりハードルは高かったですね。ここでチャレンジできたらめっちゃ目立つなと思って色々妄想してましたね。チョコレートのジャケットは尾道にアーティストがいるから書いてもらおうとか、東京じゃなくて地方で始めたら面白いなとか。ただこの時は、やろうと思ったけれど決定打にはなっていませんでした」。 チョコレートの作り方は調べたらわかるものの原材料のカカオ豆を個人で入手するルートは調べても見つからず、カカオ豆の調達はBean to Barのチョコレート作りをスタートさせるには大きな課題だった。
「当時カカオ豆を入手するにはどこに行ったらいいのか本を見て調べたりネットで検索しても、結局何もわからなかったんですよね。それでもチョコレート屋をやりたいってことは尾道の人たちみんなに話し続けていて、そしたら、ハライソという尾道にある喫茶店のマスターから、お店に行った日に突然、『グアテマラに行きなさい』って言われて。なんでって聞いたらマスターの友達で、世界をバックパッカーとして旅しているご夫婦がたまたま帰省されて、今グアテマラに住んでいるということを言われていて、カカオがあることを聞いてみたらあると言われたみたいで。自分自身も海外に不安があったのもあって、日本人(ご夫婦)がいるというのが現地滞在の安心材料になって、そこがチョコレート屋を始めようとした決定打でしたね」。
すぐにグアテマラに行くことにした中村さんはアティトラン湖周辺の集落に滞在して、マヤナッツというグアテマラだけにあるナッツを日本に輸入販売している人やご夫婦の友人で世界を自転車で旅していてたまたま中村さんがいるタイミングでご夫婦に会いに来た人とご夫婦の旦那さんの方の4人で、現地で出会った人たちと一緒にカカオ農園を探す旅に出た。
「みんなでトラックの荷台に乗って山道の際をギリギリ通る大冒険を経て、なんとカカオ農園に辿り着きました。初めてカカオ豆が干しているのをみて感動しましたね。干してあるカカオ豆をじっと見ていると、一人のおじさんがやってきて興味あるのかと声をかけられてオーナーに引き合わせてくれました。オーナーとは世界のカカオの市場価格や価値、グアテマラの市場価格、グアテマラ産は高くてそもそも買えないことやそれがなぜなのか、オーナーがなぜカカオを栽培しているのか、などカカオに関する様々な話をしました。オーナーは、お金にはならないけど、母親がずっとやっていたこの農園を残したかったと語ってくれましたね。その農園は、オールスパイスやシナモンなど色んなスパイスの木が囲まれた美しい農園だったことを覚えています。母への愛でこの農園を守ってきたから、外に出す分のカカオはないとうことでそのときはカカオ豆を買うことはできなかったのですが、お土産に3キロぐらいカカオ豆をくれました」。
帰国後にグアテマラで世話してくれた方から取引ができそうなカカオ豆農園のオーナーがいるという連絡があり、最初の旅から帰国して1年後ぐらいにまたグアテマラに行って、そこでロレンソさんという人に出会って契約が成立した。そこからお店の立ち上げが加速していった。
カカオ豆の入手ができるようになったことで本格的にチョコレートを作り始めた。マストブラザーズチョコレートも台所から始めたということを聞いて、自分にもできるはずだと最初は家にあるオーブンで焙煎したり、フードプロセッサーを使ったりして試行錯誤しながらチョコレート作りに明け暮れた。始めは市販のグラニュー糖で試してみると甘いだけのチョコができて、そこから砂糖はチョコレートに合いそうなものを探して、砂糖を製造するときにできる副産物で、特有の風味がある糖蜜の”くせ”が残っているものをチョコレートに使ってみたり、環境のことを考えて有機砂糖を選別した。焙煎も浅煎りにして酸味を引き立たせるようにしたり、そうやってようやく思うようなチョコレートができた。それから徐々に自分たちのスタイルができていった。チョコレートの形も他にない六角形にして尾道の友人のアーティストに書いてもらった絵をジャケットにして、USHIO CHOCOLATLのチョコレートが出来上がっていった。これまで作ったチョコレートは100種類を超え、カカオ豆と砂糖をベースに、果物や醤油かす、いぶりがっこなど、活動を通して出会った人にまつわる食材を使って、多くの素材からオリジナルチョコレートを作り出している。
「漫画の主人公みたいになりたいと思っていたんです。漫画は主人公が冒険に行く方を選ばないとストーリーが展開しないから、それは人生も同じだと思ったので、怖さはあるけれど知らないことに出会うワクワクする方を選びたいなって思っていました」。
カカオ農園を探す旅も行ったことのない国への不安や恐怖感よりも未知の体験への楽しみを選んだ。
その冒険は今もずっと続いていて、さらなるチョコレートを求めチョコレート作りのプロセスから再考している。着目したのはチョコレートの製造部分ではなく、カカオ豆の加工プロセスである“発酵”。一般的にカカオ豆は生産地の農園で発酵、乾燥させたものが日本に輸送されるのだが、カカオ豆だけではなくすべての食物に大きく関係する“発酵”に自分たちで取り組み始めた。
「8年間チョコレートを作ってきて、いろんな人たちと出会っていくなかで“発酵”と“腐敗”っていうのがこの世界の鍵と言えるような気がしています。だからこのプロセスに真剣に取り組みたいと思っていて、インドネシアのバリ島で“発酵”のプロセスをやっている企業があってそこはクオリティが高いものを作りたいという会社で、そこで成功できたら世界の流通網を持っているから今回の発見が世界に一気に広げられることも狙って、インドネシアに赴いて新しいカカオ豆の“発酵”のプロセスに取り組んでいます。今、新しい発酵の可能性としてカビの力を借りた発酵プロセスを考えています。カビに着目したきっかけがあって、お店を始めて最初の1年目の時にジャイカでエクアドルに行った人がカカオ豆の農園の人と繋がって、持って帰ってきたサンプルがカビていたんですよね。白カビが生えていたカカオ豆で試しに作ってみたチョコレートが食べてみたらものすごくおいしくて、それを再現しようとしています。そこにチョコレートの大きなアップデートの可能性を感じましたね。この”発酵”の体系ができたら、カカオの品種も農園主が持っている菌も土壌も違うから、もっとその枝葉が分かれるきっかけになっていって、今まで見たことのないチョコレートに出会えると思います」。
カビと言えば日本にも”麹”という伝統がある。日本の伝統文化とチョコレートの可能性のコラボ。チョコレートは世界を変える可能性があるという。 USHIO CHOCOLATLはその誕生のときから面白い方向に進んでいく。次の物語が展開していくように。
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